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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)633号 判決

原告 甲野二郎

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 下井善廣

同 笠井収

右訴訟復代理人弁護士 佐藤敦史

被告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 三浦庄太郎

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡し、及び昭和五七年二月七日から右明渡し済みに至るまで一ヵ月金二〇万円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行の宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外甲野太郎(以下「太郎」という。)は、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有していた。

2  太郎は、昭和五六年一二月九日、原告らとの間で、原告らに対し本件建物を贈与する旨の契約を締結した。

3  被告は、本件建物を占有している。

4  本件建物の相当賃料額は一ヵ月金二〇万円である。

よって、原告らは、被告に対し、所有権に基づき本件建物の明渡しを求めるとともに、不法行為による損害賠償請求権に基づき訴状送達の翌日である昭和五七年二月七日から右明渡し済みまで一ヵ月金二〇万円の割合による損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2及び3の事実を認める。

2  請求原因4の事実を否認する。

三  抗弁

1  被告は、後記のとおり、本件建物を太郎との使用貸借又は夫婦間の情宜に基づき占有し、使用していたのであるが、太郎と原告らは、被告を本件建物から追い出すための手段として、真実に本件建物を贈与する意思がないのに、その意思があるもののように仮装して、原告ら主張の贈与契約を締結したものであるから、右贈与契約は、無効である。

2  仮に前記贈与契約が有効であるとしても、原告らの明渡し請求は、以下のとおり信義則に反し、権利の濫用にわたる。

(一) 太郎と被告は、昭和四四年四月三〇日婚姻し、両者間には、昭和三九年八月七日生の子春夫がある。

(二) 被告は、太郎の了解の下に、昭和四六年九月頃から本件建物を無償で占有、使用し、被告名義で風俗営業の許可を受けて、麻雀屋の営業を行っていた。

(三) 太郎は、昭和五四年に東京家庭裁判所に被告との離婚調停を申し立て、昭和五六年には離婚訴訟(東京地方裁判所昭和五六年(タ)第一〇三号)を提起し、現在係属中である。

(四) 太郎は、大量の土地及び建物を所有する資産家でありながら、この頃から、被告に対し、被告の生活費のみならず、現在乙山工業高等学校に在籍する春夫の入学金、学費及び生活費をも渡さなくなり、被告及び春夫の扶養を怠るようになった。

(五) そこで、被告は、昭和五六年六月被告と春夫の生活防衛のため、離婚騒ぎで三、四年あまり休業していた麻雀屋を本件建物の一部で再開するとともに、他の部分を銀行から借金してスナックに改造し、双方の営業を始めた。

(六) 被告の本件建物の占有、使用は、太郎と被告との間の使用貸借契約又は夫婦間の情誼に基づくものであり、明渡しを正当と肯認できる特段の事情のない限り、被告は本件建物の占有を継続しうる。

(七) このようにして、被告は、ささやかながら生活防衛の手段を得たと一安堵していたところ、昭和五六年一二月一四日受付で、同月九日贈与を原因とする原告らに対する所有権移転登記が秘かになされ、すかさず、原告らより、本件明渡し請求を受けることとなった。

(八) 原告らは、太郎と先妻梅子との子であって、以上の事情を知悉しながら、太郎による被告の追い出しに呼応して被告の追い出しを画策して、本訴請求をしているものであり、これが信義則に反し、権利の濫用に当たることは明らかである。

(九) 原告ら主張の(二)(2)の賃料の受領は、いずれも被告又は春夫の所有名義の建物の賃料であり、同(二)(3)の事実は認めるが、有限会社甲野ハウスセンターは実質上太郎の個人企業で、同人が生活費等を送金しないため、やむをえず受領したもので、同人の扶養義務の履行に代わる行為にすぎず、同(三)(1)の行為は、春夫が高校入学が決まった昭和五五年三月頃入学金等の学費を出してくれない太郎への不満と怒りを爆発させ、太郎をかくまっている太郎の長男一郎の居住する本件ビル内の管理人室へ侵入し、原告ら主張の行為に出たものであり、同(三)(2)、(3)及び(4)の事実は否認する。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実を否認する。

太郎が本件建物を原告らに贈与したのは、太郎と被告との間で原告主張の離婚訴訟が継続しており、太郎が死亡するようなことがあれば、遺産相続の争いが始まることは明白であるから、これを避けるため、太郎は、生前にその財産を処分することを考え、その一環としてしたものである。

2  抗弁2のうち、(一)、(二)及び(三)の事実並びに(四)の事実中太郎が現在送金していないこと、(五)の事実中被告が昭和五六年六月頃本件建物でスナックの営業を始めたこと、(七)の事実中登記及び明渡し請求をしたこと並びに(八)の事実中原告らが太郎と先妻梅子との間の子であることを認め、その余の事実を否認し、本件請求が信義則に反し、権利濫用に当たるとの主張は争う。

(一) 被告は、太郎との関係でも、以下のとおり、本件建物を占有する権限がない。

(2) 昭和四六年九月頃の本件建物の使用貸借契約は、太郎との夫婦仲が悪くなった昭和四九年に、被告が麻雀屋を閉店し、その占有使用を止めたことにより、終了した。

(2) 昭和五〇年ころには被告と太郎との婚姻関係は決定的に破綻したのであるから、それ以後、被告は夫婦間の情誼に基づいて本件建物を占有する権限はない。

(二) 太郎が被告に対し、生活費を送らなかったのは、次の事情によるものであって、扶養義務を怠っているものではなく、これを理由に被告の本件建物の占有使用を正当づけることはできない。

(1) 被告及び春夫は、太郎及び原告らの実家にあたる練馬区《番地省略》所在の土地、建物に居住している。一方 太郎及び原告らは、右本家より追い出された形となって、住まいを転々としている。

(2) 太郎及び原告桃子は、前記実家周辺に存在する不動産を第三者に賃貸して賃料を得ていた。ところが、被告は、昭和五四年ころより、そのうち東京都練馬区《番地省略》並びに同区《番地省略》所在の建物について、賃借人からその賃料を勝手に受け取るようになり、現在では一ヵ月合計金二四一、五〇〇円の賃料を受け取っている。

(3) 更に、被告は、太郎が代表取締役である有限会社甲野ハウスセンターが大同生命保険相互会社と生命保険契約を締結したことにより、同社が受け取るべき積立配当金七八〇、三六六円につき、昭和五五年一〇月一七日、勝手に同会社の銀行口座を開設し、これを受領した。

(4) 以上のように、被告は、太郎、原告桃子、あるいは有限会社甲野ハウスセンターに権利のある家賃、配当金などを不法に領得しているため、太郎は昭和五六年一月ころより生活費の送金を中止したのである。

(三) 被告は本件建物のビルに関し、以下のとおり嫌がらせの数々を行っており、ビルのテナントより苦情がでている。したがって、被告を本件建物より退去させ、本件ビルに関与しないようにする必要がある。

(1) 本件ビル内にある管理人室へ無断で立ち入り、家財道具をひっくり返し、壁に落書をし、かつ、電話線を引きちぎった。

(2) 本件ビルのテナントに対し、改装工事を妨げ、勝手に家賃を取立てに行き、郵便箱を使用不能にし、入口に自転車を置いて通行を妨げるなど、数々の嫌がらせをした。

(3) 被告がスナックを開く際の電気工事において、勝手に他のテナントの電線より電気を引いて問題を起した。

(4) 水道、電気の検針、安全管理のための見廻りなどに協力せず、嫌がらせをする。

第三証拠《省略》

理由

一  請求の原因について

請求原因1、2、3の事実は、当事者間に争いがない。

二  抗弁1(虚偽表示)の事実については、これを認めるに足りる証拠はない。

三  抗弁2(権利の濫用)について

当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

被告は、昭和三七年頃から太郎と同棲するようになったが、当時太郎には妻梅子と両名の子の原告ら及び訴外甲野一郎とがあった。被告は、太郎と同棲後一時原告らとも同居したが、折り合いが悪く、間もなく原告らは、別居するようになった。太郎は、昭和四二年三月梅子と離婚し、昭和四四年四月被告と正式に婚姻した。これらの間、被告と太郎の間に、昭和三九年八月七日甲野春夫が出生した。

被告と太郎とは、正式の婚姻前から被告が交遊関係等をめぐってトラブルを生じ、昭和四三年九月には、弁護士等の立会いの下に将来の円満な婚姻関係の継続のため契約書を取り交すなどのこともあったが、正式婚姻後は、さしたることもなく、被告は、昭和四六年九月頃から当時太郎が所有していた本件建物において、太郎の同意を得て、麻雀屋を営業していた。

ところが、昭和五二、三年頃から太郎の財産の管理、処分等や被告の交遊関係等をめぐって、再び夫婦仲が険悪になり、太郎から家事調停を申し立てるなどのことがあり、昭和五四年一一月には確認証を取り交して和解したものの、その後再び不仲となって、昭和五五年頃太郎が家を出たため、被告と太郎とは、別居することとなり、昭和五六年に太郎から被告に対し離婚訴訟が提起されて、右訴訟は、現に係属中である。

太郎は、別居後も昭和五五年一二月頃までは被告に一ヵ月一〇万円から三〇万円程度の送金をしていたが、同年四月前記春夫の乙山工業高等学校入学に際し、入学金等の送金をせず、その行方も明らかにしなかったため、怒った春夫が、本件建物の属するビルの管理人室に居住していた前記一郎が太郎と相通じているものと考え、同人の器物を損壊するなどのことがあり、昭和五六年に入ってからは、太郎は、被告に送金することもしなくなった。

被告は、離婚問題等が起こったことなどから、昭和五三年七月頃本件建物での麻雀屋を一時休業していたが、太郎からの送金が途切れたため、本件建物で営業を再開することとし、太郎に承諾を求めたが、その了承の得られないまま、昭和五六年六月から本件建物で麻雀屋とスナックを開業した。

これに対し、太郎は、被告に対し本件建物の明渡しを求めていたが、昭和五六年一二月本件建物を含むビル全体を原告らに贈与した後も、原告らと相謀って、本件建物の明渡しの請求を続け、原告の本訴請求に至った。

太郎は、大量の土地、建物を所有し、その家賃収入は一月二〇〇万円に達し、これを管理する原告甲野二郎から一月一〇〇万円の送金を受けており、他方、被告は、春夫を扶養し、本件建物の営業収入のほか、太郎から被告及び春夫名義にして貰った建物の家賃として一月一五万円から二〇万円程度の収入があるが、春夫の学費だけでも、入学金等を除いても年間四〇万円から五〇万円程度必要としている。

以上の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで、以上の事実に基づいて、被告の権利濫用の主張の成否について判断する。

夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担しなければならないものであるから、夫婦の一方の所有に属する財産について、婚姻を維持するに必要な限度において、相手方は当然にこれを使用することができるものと解すべきであり、その所有者である配偶者は、正当な理由がないのに、他の配偶者の使用を拒むことはできず、このことは、婚姻が事実上破綻し、別居生活をしている場合でも、同様に解するのが相当である。これを本件についてみるに、太郎は、多額の収入及び大量の資産を有しながら、被告に送金せず、被告は、自己及び太郎との子春夫の生活費等に当てるため、本件建物を使用して、麻雀屋及びスナックを営業しているものであり、被告にある程度の家賃収入があるとしても、本件建物を使用する必要性がないものとはいえず、太郎において、被告の本件建物の使用を拒むべき正当の理由があることを窺うべき事実は、なんら存しない。なお、当事者間に争いのない被告による保険配当金受領の事実は、以上の判断について、妨げとなる事情と解する余地はない。

したがって、太郎は、被告の本件建物の使用を許諾しなければならない義務を負っていたものというべきところ、原告らは、本件建物を含むビル全体を他の土地等と共に遺産相続の前渡しの趣旨で贈与を受けたものであり、太郎と被告との前記事情を知悉していたものであって(以上の事実は、《証拠省略》により認められる。)、原告らの本訴請求も太郎と相謀ってのものであり、これらの事実に原告らと被告との身分関係及び原告らにおいて本件建物の明渡しを必要とする特段の事情のなんら認められないことなどを総合すれば、原告らの本訴請求は、権利の濫用に当たるものと解するのが相当である。原告らは、被告が本件建物の属するビルに関して嫌がらせをしていると主張するが、前認定の春夫による管理人室での乱暴は 前認定の事情によるものであって、これをもって、被告の責めということはできず、その余の点については、これにそうかの趣旨の《証拠省略》は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

四  よって、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条及び第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 町田顯)

〈以下省略〉

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